日本史のミステリー⑥ 捏造の明治維新 2 坂本龍馬
1 龍馬が中岡慎太郎と同じ場所(近江屋)で暗殺されたという嘘
「坂本龍馬はいなかった」は推理小説の犯人捜しのような面白さがある。まず、龍馬暗殺についても、疑問点が多いという。
第一に、坂本龍馬と中岡慎太郎の接点は、当時、何もなかったのに、なぜ一緒にいたことになったのか?
第二に、龍馬は寺田屋事件で役人二人を銃殺しており、幕府から指名手配中であったから、京都見廻り組などに命を狙われる危険性はあったが、中岡慎太郎は土佐藩に復帰しており、その危険性は少なかったこと。
第三に 中岡は、当時、陸援隊(土佐藩300人からなる武闘団)の首領であり、龍馬などよりはるかに重要な人物であったのに、龍馬暗殺ばかりがクローズアップされすぎていること。
第四に 中岡が襲撃された後、陸援隊は近江屋と目と鼻の先にいたのに、副隊長である田中光顕等が犯人捜しをしたという形跡がない。
著者は、中岡慎太郎暗殺の主犯は田中光顕で、陸援隊内部でのクーデターではなかったのか?そして、事件をカムフラージュするため、坂本龍馬を使ったのではないかと推理している。
日露戦争開戦の直前、美子皇后の夢枕に立った武士が「拙者が誓って皇国を死守せん」と叫んだので、皇后は侍臣に誰だろうとたずねたら、その話が田中光顕に伝わり、田中は「それは郷里土佐の朋輩、坂本龍馬のことであります」と答えたという。これを聞いた皇后は感激し、この挿話は「時事新報」という新聞で報じられた。
著者は、本来ならここで田中は中岡慎太郎の名を挙げるべきところを、一切出さなかったのはあまりに作為的だという。田中光明の回顧録でも中岡の名前は殆ど出ていないらしい。これは田中の後ろめたさから来るのかも知れないが、そのことがかえって、「中岡は龍馬殺害の巻き添えを食った」という印象をもたらしているという。
2 龍馬の手紙の嘘
坂本龍馬が書いた手紙は136通あるという。この手紙こそ、龍馬実在と龍馬伝説の何よりの証拠だといわれている。
しかし、作家の加治将一は龍馬の手紙について、「当時の飛脚便の料金は平均一両、現在のお金で10万円と言われており、龍馬が使った飛脚料は300通で3千万円以上になり下級武士が払える金額ではない」という。それに、龍馬は当時、脱藩していたから、見つかれば家族ともども重罪に処せられる。密使を使ったら使ったで、見つかれば罪はもっと重くなるという。
それに、姉の乙女に送った手紙など内容があまりに呑気であるという。そうかと思えば、同時期に書いた手紙には、反乱の決起と思わせるような内容で、共犯者の住所と名前まで載せている。まず、差出人が同一人と思えないし、脱藩中の浪士が犯罪声明を書いているような内容でこんな物騒な手紙を実家に送るだろうか?
龍馬とお龍の霧島ハネムーン旅行の手紙もおかしいという。女権拡張論者の坂崎(汗血千里駒の作者)の小説に擬せて創作されたものだろう。
そして、信奉者の多い龍馬の手紙となると1千万円くらいで落札されるらしい。これはビもうジネスになる。
この他、龍馬は、薩長同盟や大政奉還などを実現させた人物とされているが、はたして真実はどうなのか?この二つに関しは、もう少し深い議論が必要だと思う。
これはビもうジネスになる。誤字があると興醒め