日本史のミステリー① 歴史は捏造される
歴史は後の支配者によって捏造される
日本史の通説や史実といっても、その殆どが後世の支配者側の「語り部」が書き記したものから形成されている。それに、支配者が権力を握ってしまうから、都合の悪い事実や証拠は隠滅させられるし、被支配者(敗者)側から真実が語られても口封じされてしまう。「御用(語り部)作家」は、時の支配者におもねって、彼らの都合の良いように事実を作り替え、また彼らが喜ぶように脚本を仕立て上げるから、真実からますます遠のいていく。
それに「読者は」というと、支配者側の政権のなかで暮らしている人がほとんどであるから、支配者側の成功談を聴くのは支配者と同じように耳障りがとてもいいと感じる。
つまり、支配者の政権が続く限り、真実が明らかになることはない。本当の真実が明かにされるのは、何百年も経ってからのことになるが、それでも、支配者側の書いた歴史を塗り替えるほどの市民権を得ることは稀である。
最近、衝撃的なタイトルと中味の「歴史物の読み物」が次々と出版された。
一つは「本能寺の変431年目の真実」明智憲三郎著
もう一つは「坂本龍馬はいなかった」細田マサシ著
まだまだ面白い逆転発想の歴史物はたくさんあるのだが、とりあえず、この二作の内容紹介とマッスンの日本史に馳せる思いなどをこれから述べさせていただきたいと思います。
シリーズ①はこの辺にしておいて、②以降で本論に入りたいと思います。